カテゴリ:KYOTO/ 京都に暮らす( 194 )


2014年 05月 06日

「 京都へ 」

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知れば知るほど、知らないことが呆れるほどにたくさんあるということに気付かされる

あなたという存在は本当に奥が深くて、ため息が出るほどまだ遠い。

私はきっと、遠くない未来でまたあなたのもとへ帰ってきます。

そして今度は一人の「旅人」としてあなたのことを静かに想うのでしょう。

あなたの知らない国で、あなたと出合った頃のように、目新しい世界の中で自分という存在を

少しずつ確かめながら生きてきた一人の「旅人」として。

その時は、私のまだ見たことのないあなたの姿を見せてください。 その時まで変わらずお元気で。

そしていつかあなたと暮らした日々のことが一冊の本になることを祈って。




2014年5月 岩田 紗代子



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by sucrecuit | 2014-05-06 21:30 | 京都に暮らす
2014年 05月 05日

京都に暮らす

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凛とした澄みきった空気に心洗われたくて、無性に早起きをして窓を開け、深く息を吸い込みたくなる冬の朝。
ポカポカ陽気に包まれたくて、鴨川まで散歩してみる春。
桜の花がぼんぼりのように咲き乱れる頃、ぱっと華やぐ桜色した人々の顔。
「あついわぁ、あついわぁ」と言いながらも団扇を仰ぎ、カキ氷を食べにお店屋さんをまわるのが楽しみな夏。
木々の葉が色付き始めたころ、風の冷たさに少しだけせつなさを感じながら、自転車をとばして町中をかけめぐる秋。


この町は、私にとっては暮らしそのものであり、私が私であるための場所。
小さい頃は面倒臭くて大嫌いだった季節の行事も、何度も季節をめぐって、少しだけ大人になった今では、
こうして京都人の普段の生活の中にさまざまな行事が今も変わらず根付いていることを、とても愛おしく思います。


四季折々の楽しみ方のある京都へ。
皆さんも、暮らすように京都を旅してみてください。
さて、どの季節に来はりますか?





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by sucrecuit | 2014-05-05 19:50 | 京都に暮らす
2014年 05月 04日

カフェから眺める京都の暮らし

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私が喫茶店に行く理由。

それはただおいしい珈琲をいただくためだけではなく、空腹をただしのぐためでもなく、
喫茶店という日常の中の非日常の空間の中に自分の身をゆだねるため。
腰をかけるのにちょうど良い椅子、思考をかき乱すことのないやさしい音楽の中で
おいしい珈琲をいただいたのなら、それは至福のひと時。
「あれもしよう、これもしよう」と、色々なアイデアが頭の中にぱっと湧き出てきて、
気が付けば手にはペンを握り、思いをつづっているのです。
これはきっと、喫茶店の魔法。
この心地良い魔法にかけられるため、私はこうも足しげく喫茶店に通っているのだと思います。
京都には、溢れるほどカフェや喫茶店と呼べるものがあるといいますが、長い年月を越えて
なおも人々に愛され続けている喫茶店には、そのたしかな理由があります。
喫茶店の扉を開けてみれば、その理由が見えてくるはず。
さぁ、レトロ喫茶案内のはじまりです。


京都で暮らし、毎年繰り返される季節の移り変わりを肌で感じていると、
目まぐるしく変わってゆく時代の流れの中で、ずっと変わらないを続けていく京都と、
少しずつ新しいものを受け入れて丁寧に変わっていこうとする京都、その両方の「京都」がここに存在していることに気付きます。
それは京都の喫茶店だって同じだと、ある日通りがかった喫茶店が教えてくれました。
「喫茶セブン」と書かれた看板が誇らしげにこちらを見下ろし、大きな窓ガラスから覗ける背の高い天井からは
内側の空間の居心地の良さを容易に連想させる、その喫茶店の名は「喫茶マドラグ」。

約50年間続いたという喫茶セブン。
よく前は通っていたのだけれど「よそ者は来てくれるな。」と言わんばかりに、店の内側にはカーテンがかけられ、
常連さんたちが集う憩いの場となっていた喫茶セブンに、結局私は一度も足を踏み入れぬままに
シャッターは閉められてしまいました。
その後半年間放置されていたかつての喫茶店に、再び息吹をよみがえらせたのは、山崎さんご夫婦でした。
「自分たちの思い描いていた喫茶店に、喫茶セブンは近かった。喫茶セブンの姿を残していかなければならないと思いました。」
とオーナーの山崎さんは言います。
かつての喫茶セブンの雰囲気は変えずに、変えるところは丁寧に変えていく。
椅子は、木屋町にあった「名曲喫茶みゅーず」のものを譲り受け、壁は土色に統一、大きなカウンターには白い石を貼って、
だんだんと自分たちの頭の中のイメージを形にしていく。
人柄の良かった先代のマスターの煎れる極上の珈琲を目当てにしていた舌の肥えた常連さんたちも、
今では文句を言わずに自分の煎れた珈琲を残さず飲んでくれるのがうれしいと教えてくれた山崎さんの笑顔は
まるで少年みたいで、これからも古典喫茶を残していきたいと願う心がその笑顔に表れていました。
ご近所の常連さんと、白い毛むくじゃらのわんちゃんが、いつものようにここへやってきた頃、
私は、ひんやりとした地面に寝そべるわんちゃんに軽く挨拶をして、喫茶マドラグを後にしました。




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喫茶マドラグ
京都市中京区押小路通西洞院東入ル北側
075-744-0067



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by sucrecuit | 2014-05-04 20:29 | 京都に暮らす
2014年 05月 03日

鳩 餅

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三宅八番宮への参拝の後は、鳩餅を買って帰りましょう。

味は白、ニッキ、抹茶の三種類。





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by sucrecuit | 2014-05-03 08:21 | KYOTO/ 京都に暮らす
2014年 05月 02日

京都のお包み

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それまでのありふれた日常が、そうではなくなる時、いつも小さなハプニングがあります。

ずっと顔を隠していた太陽が、ひょっこり気まぐれに顔を出した時や、予期しないやさしい風が吹いた時。

かわいく丁寧に包まれたお菓子が、我が家にやってきた時も、私にとっては小さなハプニングで、

早まる気持ちを抑えて、包まれた時と同じように、丁寧にほどいていく瞬間は、お菓子たちと対面する時と同じぐらい幸せな瞬間です。




丁寧にほどいたお気に入りの包み紙たちは、誰かにごみとして捨てられてしまう前に、私のもとに置いておきます。

いつかこの包み紙たちが、素敵なコラージュの作品になるといいなぁと夢みながら。

同じように、お菓子たちの入っていた箱も、捨てずにとっておきます。

なぜだか昔から箱に目がない私にとって、お菓子の箱は、特に心を揺さぶられるアイテムで、

この箱には何を入れようかと幸せな悩みごとをする時間も大好きです。




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by sucrecuit | 2014-05-02 09:40 | KYOTO/ 京都に暮らす
2014年 04月 27日

真古館 「お福もちぜんざい」

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「ちはやぶる神代も聞かず龍田川唐紅に水くくるとは」



不思議なことの多かったという神々の世の話にも、こんなことは聞いたことはない。

龍田川が深紅の色に水を括り染めにするなどということは。




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by sucrecuit | 2014-04-27 10:39 | KYOTO/ 京都に暮らす
2014年 04月 25日

京都の桜

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綿菓子のように、思わずつまんで食べてしまいたくなる、ぼんぼりのような桜の花が、

枝にぽんぽんとなる頃、京都はピンク色に染まります。

浮かれる心を内に秘め、にやりと緩む口元をキュッとしめて、背筋をぴんと伸ばしながら、

新しい生活へと入ります。





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by sucrecuit | 2014-04-25 12:11 | KYOTO/ 京都に暮らす
2014年 04月 20日

福栄堂の一口水無月

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6月30日は、水無月を食べる日。


水無月は、ういろうの上に小豆を乗せて三角に切ったお菓子です。
昔御所では、6月1日に西賀茂の北にある氷室という場所から氷を切り出して、
その氷を口にして夏の暑さによる邪気や疫病を祓う行事が行われていました。
しかし、当時氷は貴重で庶民の手に入るものではありませんでした。
そこで、氷室の氷を表した三角の形状のお菓子が作られたそうです。
小豆には邪気を祓う力が宿っているとされています。
実は、私はこの水無月があまり得意な方ではなく、一口食べるごとに胃袋にたまっていく水無月を
何口か食べるごとに「ふぅー」と休憩を入れながら、三角形全部を食べきっていました。
でも<福栄堂>の一口水無月は、その名の通り一口で食べられるほどの小さい水無月で、
私にとってもちょうどいい大きさです。
これを一口ではなく、二口でおいしくいただいています。
<福栄堂>では一年を通してこの一口水無月が置いてあるので
6月30日以外の日にも、時々「はっ」と思い立って買い求めています。




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by sucrecuit | 2014-04-20 11:49 | KYOTO/ 京都に暮らす
2014年 04月 16日

いづうの鯖寿司

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物心がついた時から、何かお祭があるハレの日には食卓に鯖寿司が並んでいるせいか
鯖寿司を見ると、これから何かが起きるような期待感から心が弾み、なんとなく幸せな気分になります。
子供の頃、自分は鯖アレルギーだと信じて、どんなハレの日にも頑なに鯖寿司を食べることを拒んでいた兄のために
私は鯖寿司係を買って出て、兄の分までパクパクと鯖寿司を平らげていました。


鯖寿司が京都特有のものであると知ったのは、それから大分、恥ずかしくなるぐらいにずいぶん後のこと。
東京に出向いた際、お寿司屋さんで鯖寿司を注文したら、イカやマグロのような感覚で
新鮮な鯖の切り身がシャリの上にちょこんと乗ったお寿司が出てきて
それが自分の思っていた鯖寿司とは違い、衝撃を受けたのです。
京都の鯖寿司は、三枚に下ろした鯖を酢と塩で締め、寿司飯の上に一枚ごと乗せて竹の皮で包んだ棒寿司のことで、
かつては福井県若狭湾で採れた鯖が洛北の険しい「鯖街道」と呼ばれる道を通り、人の足で京都まで運ばれてきていました。


京都では端午の節句や祇園祭、秋祭りなど季節を問わず、何かお祭りのあるハレの日には鯖寿司をいただきます。
各家庭で鯖寿司を作って、親戚などに配ってハレの日を共に祝う習慣がありますが
今は家庭で作らずに、鯖寿司をお店で買って祝うことも多いです。
脂の乗ったとびきりおいしい鯖寿司をいただきたい時は、1781年に創業した老舗<いづう>まで足を運びます。
丁寧に巻かれた昆布をこれまた丁寧にはずし、鯖寿司をゆっくりと口まで運びます。


<いづう>では季節毎に変わる包み紙を見るのも楽しみの一つ。




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by sucrecuit | 2014-04-16 21:45 | KYOTO/ 京都に暮らす
2014年 04月 14日

雪化粧の金閣寺

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しゃんしゃんと降る雪の雪化粧の中で


金色が浮かび上がって見えた。





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by sucrecuit | 2014-04-14 22:01 | KYOTO/ 京都に暮らす