人生の分岐点すべての時に、私のとなりには鴨川が流れていました。
傷付くのが怖すぎて、最後までずっと伝えられずに終わった大好きという気持ちも、
先の見えない不安や意味のない焦りも、ごめんなさいがただ言えなくて陥る自己嫌悪も、もどかしさも、
青春時代に感じることのできるすべての感情を、そのままの形で包みこんで、川の流れと一緒に流してくれるような、
鴨川は私にとって、そんな偉大な存在でした。
こうやって鴨川を、ただの川としてではなく、青春時代と重ね合わせる人も多いはず。
時に優しく癒してくれて、時に荒々しく人々の生活を脅かす存在であった鴨川は、
長い年月をめぐって流れ続けて行く中で、京都人にとって特別な川となっていったのです。
学生時代は、河原に座り込んで物思いにふける時も、友達と二人で座り込んであれこれ話しているうちに、
なぜか途中で二人とも泣いて、でも最後は笑って、暗くなったら家に帰っていった時もありました。
自分のやりたいことがわからないことに焦って、トンネルの中をもがいているように感じた大学2年の秋風の吹く季節だって、
私は鴨川のベンチに座ってひとり昔のことを思い出しながら、ぼーっと物思いにふけっていました。
今はこんな学生時代のようにはなりませんが、私にとって鴨川が特別な存在であるということに変わりはなく、
時々ぶらりと散歩したり、犬を連れて走ったり、気分が良い時は張り切ってピクニックもしたりします。
お花見シーズンのように人々で混みあうこともなく、心地良い風が肌をかすめる5月は、鴨川でピクニックをするのに最適な時期。
鴨川近くのパン屋さんでたくさんパンを買いこんで、木陰でそれらをおいしくいただいて、ピクニックを楽しみます。